クラシック音楽の楽しみ

クラシック音楽の世界というのは、ある意味特殊なような気がします。  


美術展などはその作家さんが1から作った作品を観覧します。 


ポップスなどのコンサートでもその歌手独自の曲を披露し、それを聴きます。

もちろん作曲家がいて歌い手というパターンが多いですが、基本的には歌い手のために作曲家が曲を作ります。

 たまにカバー曲なんかもありますが。 


クラシック音楽はある作曲家が作った作品を何人もの演奏家が披露します。

クラシック音楽が作られた時期は限られているので、作品数も限られています。

1つの作品なんかでも、何人もの演奏家が演奏します。 


ある意味凄い世界です。  


少し悪い言い方をすると、すでに出来上がった作品があり、それを演奏をする人が各々の解釈をし、それぞれの表現をします。


クラシック音楽の世界はどうしても作曲家が作った出来上がった作品の上で成り立っています。


演奏する人の完全なオリジナルではありません。 


でも、不思議なことにそれだからこその魅力があるのでしょう。

のめりこんでしまいます。 


クラシックコンサートなんかでも、演目を見ているとどうしても偏っています。 

海外からくるオーケストラなどはどうしても、最後のメインとなる演目には人気のプログラムを選びます。

そうすると、作曲家別でいえば ベートーベン、モーツァルト、ブラームス、ブルックナー、チャイコフスキー、マーラーなどが圧倒的に多いでしょう。

それもたいていは交響曲です。


その中でも人気のナンバーになるので、演目は相当限られます。


何回もコンサートに聴きに行っている人は、同じ演目を何回も聴いていることも多いです。

同じ演奏家の時もあれば、違う演奏家の時も。

指揮者は同じでも、楽団が違う。


これがおそらく醍醐味なんでしょうね。


同じ作品でも演奏家によって表現が全然変わってくる。  


かといって、元々の作品が大きく変えられることは無い。

何回聴いても受ける感情が変わるときもあれば、変わらずに安心できる時もあります。  


1つの曲でも演奏家次第で、色々な作品に変わってくる。 


それが楽しいですよね。 

プロでなくても、同じですよね。 


演奏する人によって、同じ曲でも大きく表現が変わってくる。 

聴いていると、弾いている方の人柄なんかも大きく演奏に表れてきます。 


よく、クラシック音楽を聴くのは難しいと聞きますが、こういう風に考えるとそう難しくも無いでしょう。 


「あの人、とても優しそうな顔立ちをしているから、優しい演奏をしているなぁ」


なんて、演奏している人とその曲調をイメージしながら聴くこともあります。 



僕はどういうイメージで見られているでしょう?


嫁からはよく、あるジブリ映画のセリフで例えられるのですが・・・ 


「ピアノを弾けないブタはただのブタだ‼」


 なんて言います。

 嫁からすると僕の演奏はそんなイメージでしょう。


 最近、久石譲の「紅の豚」を練習しています。

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