悲しい曲と哀しみ

歳をとってきたせいなのか、最近悲しい曲を聴いたり弾きたくなる時があります。  


悲しい曲というのは、当たり前ですが、ルンルン🎵と気分が楽しくなるわけではありません。 


しかし、なぜか惹かれます。  


やはり、歳を重ねてくると、誰しもが哀しい出来事などに直面せざるを得ない事が出てきます。 

それも、消えずにどんどん増えてきます。


しかし、普通に生きていこうと思うと、ずっと哀しい気分のままでは過ごすことはできません。 

表面では笑って、あまりわからない様にしてごく普通のようにして過ごしていきます。 



心の奥底には哀しみを持ちながら 



だから、悲しい曲に惹かれてしまうのかもしれません。  


人それぞれの人生があり、境遇はそれぞれ違いますが全ての人に哀しみはあるでしょう。 

哀しみの上で人生が成り立っているような気もします。 


楽しかった思い出も、ある一瞬で急転して哀しい思い出に変わってしまいます。

最終的に哀しみで終わるような気もします。 


哀しみが根本にあるから楽しさがあるとも思います。 

その隠したかった事を優しく慰めてくれるのが、そのような悲しみのある曲のような気がします。 


また、悲しみのある曲を弾く時も、技術も必要ですが、そこにその方の人生経験なんかも大きく影響します。  

自分の境遇を曲に乗せて演奏をしていきます。 


言葉には表せない想いを表現できた時に、人々はその表現に魅了されるのでしょう。 

聴き手も弾き手もすべて、自分の人生経験と照らし合わせて共感しながら慰められる。 



だから、悲しい曲には共感してしまうのでしょうね。  

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