ピアノが好きな理由
最近、とにかくピアノが好きになってしまっています。
以前、ブロ友さんの記事にもピアノ好きな理由について書いてあり、
「理由は特になくても好きであれば良いのでは?」
みたいな内容のコメントをさせていただいたり、そのようなコメントも拝読させていただいていたと思います。
僕はおそらく5歳のころには始めていたと思います。
それから、ヤマハ音楽教室、個人のピアノの先生と深く考えずに高校生の頃まで習っており、高校生からは習っていません。
2年前くらいからサークルやユニットで人前で弾く機会もあり、今ではそれが大きなモチベーションになっているのはありますが、成人頃から40代まで20年以上、だれにも披露することなく弾き続けてきました。
途中、弾かない時期があったり色々ありますが、特に深く考えることもなくずっと弾き続けています。
どう考えてもピアノ好きですよね。
なぜ弾き続けているのかなぁと深く掘り下げて考えてみました。
人に聴いてもらえる環境がなかったので、人前で弾くために続いていたわけでは無い
もちろん、お金になっているわけでは無い
弾かなければならない義務は無い
好きな曲を自分の音色にして演奏できる喜びがある
確かに続けていられる理由にはなるけど、これだけではないような気がする
感情表現・・・?
そういえば最近、悲しい曲が好きになってきているような気がします。
僕の場合、歳を重ねるにつれて泣くことができないようになってきています。
人前で泣くというのがなぜかできなくなっているような
もともと、大きく感情を表現することが苦手です。
よくも悪くも日本人的で、人前で思いっきり感情を表に出すというのが苦手です。
周りに合わせて、常に笑顔でいて、調和するように表情などを保っているような気がします。
時折、無理に表情を作っている時もあります。
普通の人間なんで、喜怒哀楽は人並みにあります。
ただ、思いっきり悲しむことには抵抗があります。
以前のほうが、悲しみを表現することに抵抗がなかったように思います。
もしかしたら、悲しい曲を弾きたくなってきていることと、自分が素直に悲しみを表現できなくなってきていることが関係あるような気もします。
若いころは喜んだり、気持ちを高ぶらせる発言などが少し照れ臭いことがあった時期もあります。
そんな時は、派手で勇ましい曲などが好きでした。
僕にとってピアノを演奏するということは、普段押し殺している感情を、唯一、人目を気にせず外に発散することができる手段なのかもしれません。
人前で泣くことができなくても、ピアノであれば思いっきり悲しみを表現することができる。
普段は、何気なく、他人から見れば常に笑顔で振るまって普通に感情を表に出しているようにしていますが、歳を重ねるにつれて、周りに合わせて無理にふるまっていることもあります。
ピアノを弾いている時が一番素直に自分の感情を出せているような気がします。
だから色々つらい時や何かあった時でもピアノを弾くと気分が楽になるんでしょう。
悲しい気分の時には思いっきりピアノでそのような表現で弾きます。
喜怒哀楽色々な表現がありますが、ピアノテクニックは抜きにして、自分の持てるすべてを出し切って表現しようとします。
弾き終わった後はなんともいえない気持ち良さがあります。
自分にとって一番の表現方法がピアノだと思います。
だから、ずっと好きで続けられているのでしょう。
多分、これは僕だけではなく、ピアノが好きな人はみんな同じ部分があるのではないでしょうか?
それぞれが自分の全てを出し切って感情を表現する
だから、そこに個性やそれぞれの音色が生まれてくる。
ピアノのテクニックだけではだせない、人を魅了できる演奏につながってくるのでしょう。
ほかの方のブログなどを読んでいても、様々な悩みを抱えていたり、色々な葛藤があったりしている記事など目にします。
ピアノに対しての苦悩や葛藤の記事なども目にします。
色々あっても、結局ピアノを続けているということは、ピアノに悩まされながらも、色々な部分でピアノに救われている部分もあるからではないでしょうか。
自分自身ではそうだと思っています。
本当にピアノが好きで良かったです。
これからも色々とあると思いますが、ずっと弾き続けていきます
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